情けは人のためならず(1) —被災地支援のご報告
4月24日の板橋区議会議員選挙で、皆様の多大なご支援を賜り当選させていただいて以来、まったく予想していなかったほどの疾風怒濤の日々を駆け抜けてきました。
随時Twitterを通じて皆様にご報告をするよう心がけてきたつもりですが、Twitterだと書いたものが流れてしまって、後から見た方には背景や方針が見えなくなってしまいます。
また140字という文字数では細切れにならざるを得ず、きちんとまとまった形でご報告をするためのブログの開設はぜひ必要だと、ずっと思っておりました。
ネット各社がやっているブログサービスをそのまま使ってもよかったのですが、そこは元IT技術者の意地でしてw、なんとか自サイトにブログエンジンを組み込みたかったのです。
そのための作業の時間が確保できたのがようやく最近になってでした。
まずは、皆様からご質問をいただくことが多い、東日本大震災の被災地支援についてのご報告、および中妻の考え方を記していきたいと思います。
震災直後からの被災地支援
選挙直前の3/11に東日本大震災が発生しました。私の実家は仙台です。
私の父も津波から逃げて、橋の上で津波をやり過ごし、水が引かないので橋の上で一晩明かすという九死に一生の体験をしました。
板橋区でも計画停電などの影響が出る一方で、日々伝わってくる惨状や被災地の困窮を知るにつけ、直ちに行動しなければと思い、高島平の友人たちと協力して、宮城県の障がい者施設におむつなどの生活必需品を送ったり、陸前高田に靴を送ったりなどの被災地支援を行いました。
区議会議員当選後には、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」と協力し、中古家電を支援するプロジェクトに取り組んできました。
5/31には高島平の旧高島七小にて、近隣の皆様に家電を持ち寄っていただき、宮城県石巻市に送付しました。
また7/24には、東京・山梨の計5カ所にて中古家電を集め、宮城県石巻市および南三陸町で配布するという一大プロジェクト「夏休みは家電を送ろう!」の総指揮を執りました。
写真は、7/31の宮城県石巻市での家電配布の様子です。
写真でも伝わると思いますが、それはそれはすごい熱気だったのです。やはり被災地の皆様は、明日の生活のために必死なのです。
「夏休みは家電を送ろう!」プロジェクト
「夏休みは家電を送ろう!」は、地域の皆様にお声がけをして、中古家電をご提供いただくことからはじまりました。
まず、北大塚の石井電気通信様に宅配での家電受付にご協力いただきました。そして7/24、渋谷区、中野区、大田区、山梨県富士吉田市の4箇所で会場を設け、地域の皆様に家電の提供をお願いしました。
各会場で、100~150点もの家電が集まりました。
また各会場では「トラックカンパ」を集めました。 物流業界有志の皆様のご協力を得て、各会場ごとに4トントラックを 回していただき、それによって大量の家電を被災地まで運びます。
そのための費用というのはどうしても必要になりますし、またそうであるならば、被災地のトラック業者に少しでもお仕事にしてもらおうと、宮城県からトラックをお呼びして運んでいただきました。
現地は大盛況(すぎ…^^;)
7/31は石巻にて、午後1時から配布を開始する予定になっていました。
が、前日夕方、情報交換のために用いているFacebookで衝撃の知らせが。
「もう並んでいる人がいますよ…」
自分の見通しが甘かったことを痛感しました。
当日はできるだけ早急に準備をし、すぐに配布を開始しましたが、なんと500人ほどは並んでいる状態です。
(これでは家電が足りない…)
並んでいる皆様にもそれは当然見て取れ、早朝から並んでいることと合わせてかなりストレスが高まっている状態でした。
そこで奇跡の援軍。 物流業界有志の方が、急遽冷蔵庫を積んだトラックをこちらに回してくださいました。
のみならず、大量のスイカの差し入れもありました。
これが本当に助かりました。
スイカの差し入れでみなさんの空気がなごんだのです。
さらに、この状況を先読みしていた平島武文さんが、あらかじめ追加で扇風機の手配ができるようにしていてくださってました。
こういった助けがなければ、せっかく長時間待っていただいた多くの被災地の皆様をがっかりさせることになってしまったことでしょう。
実際、これらの助けがあったにもかかわらず、誠に申しわけないながらお帰りいただいてしまった方もたくさんおられました。
自らの至らなさを痛感するより他にありません。
8/1は、南三陸町のホテル観洋様にて家電配布を行いました。
写真は、ホテル観洋様での家電配布の様子です。
ボランティアの方々も慣れてきて、 前日よりは混乱が少なかったと思います。
200人ほどの方においでいただきましたが、ほとんどの方には何らかの家電をお渡しできました。
ありがとう。ありがとう。
この「夏休みは家電を送ろう!」では、本当に多くの皆様に大変お世話になりました。
まず、東京・山梨計5カ所で家電収集をやっていただいた拠点責任者の皆様に深く御礼申し上げます。
多大な労力を惜しまず割いていただいたのみならず、費用負担までお願いしています。
こんな無茶な話を何の見返りもなくやっていただいたことについては感謝の言葉もありません。
渋谷区議会議員のはるた学さん、中野区選出東京都議会議員の西沢けいたさん、大田区選出東京都議会議員のやながせ裕文さん。
そして、豊島区北大塚の石井電気通信様。
それから、まったくの個人であるにもかかわらず拠点責任者という困難な仕事を自ら申し出ていただいた、山梨県山中湖村の佐々木友子さん。
皆様に最大限の謝辞を申し上げます。
また家電収集の場を提供してくださった、文化服装学院様、東大附属中学校様、小林運送様、富士吉田市社会福祉協議会在宅介護センター様に深く御礼申し上げます。
また、ご自身も困難な状況にあるにもかかわらず現地で家電配布のための場所を提供してくださった、第一貨物石巻営業所様、ホテル観洋様に深く御礼申し上げます。
(写真は、ホテル観洋にての女将さんとの打ち合わせです)
そして、石井電気通信様を通じて多数の冷蔵庫をご提供いただいた朝日信用金庫様に深く御礼申し上げます。
また、無茶な調整に辛抱強くおつきあいいただいた物流業界有志の皆様。素人の集まりが大変ご迷惑をおかけしました。本当にありがとうございます。
それから、ふんばろう東日本支援プロジェクトの皆様。
家電支援プロジェクトを実施するチャンスを与えてくださった代表の西條剛央さん。
5月の高島平収集からずっと協力いただいている皆様。
バスツアーで石巻・南三陸まで来てくれて鉄火場の現場を手伝ってくれた皆様。
そして、石巻で窮地に陥った私たちを「こうなることはわかっていた」とばかりに助けていただいた平島武文さん。
本当にありがとうございました。
そして何より、家電をご提供いただいた、地域の心ある皆様。
そして、不手際が多かったにもかかわらず家電をお受け取りいただき、のみならず手伝いまでしてくださった多くの被災地の皆様。
本当に、ありがとうございました!
さて、ご報告だけでだいぶ長くなってしまいましたので、「なぜ被災地支援なのか?」という私の考え方についてのご説明は、次回とさせていただきたいと思います。

中妻 じょうた 板橋区議会議員
板橋区議会議員「IT区議」中妻じょうたです。 長年ITプロフェッショナルとして働いてきた経験を生かし、より多くの区民の声を区政に反映する仕組みづくり、そして人の可能性を伸ばす教育・子育て、また障がい者福祉など社会弱者の対策に力を入れていきます。 仙台出身。東日本大震災被災地支援や原発問題には積極的に関わっていきます。 趣味は中国武術、マラソン、ゲーム、読書など。