今年も8月6日と8月9日がやってきました。
広島と長崎に原爆が投下されて77年になります。

私は過去に広島・長崎いずれの平和記念式典にも参加したことがあります。
いずれのときも、現在現職の市長、広島市は松井一実市長、長崎市は田上富久市長でした。

私はお二人の式典での言葉を直にお伺いしており、お二人の「二度と核兵器を使わせてはならない」「核兵器は廃絶しなければならない」という強い想いを痛烈に感じました。

今年は、広島では松井市長はトルストイの言葉を引用し、「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」と語りました。

長崎では、田上市長はウクライナ戦争に触れ「核兵器の使用は杞憂ではなく『今ここにある危機だ』」と語りました。
続いて田上市長はNPT(核不拡散条約)再検討会議に触れ、「条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいる」と指摘しました。

ウクライナ戦争は「兵器を禁止できない」ことを示してしまった

核兵器廃絶への道のりが現在不透明になっている要因は、言うまでもなくウクライナ戦争にあります。

ウクライナ戦争は、第二次大戦後に積み上げられてきた「平和への条件」をことごとく破壊してしまいました。

  • 国連安保理による安全保障体制。以前より機能不全が指摘されていましたが、拒否権を持つ5常任理事国のうちの1つが暴走すると、まったく機能しなくなることが誰の目にも明らかになりました。
     
  • 経済による互恵体制。経済発展によって相互に利益があるWin-Winの形が作れれば軍事的冒険を冒す理由はなくなると考えられてきましたが、これも独裁者の暴走を止めることはできませんでした。
     
  • 国際条約。ジュネーブ条約などで特定兵器の使用や民間人・民間施設への攻撃が禁止されていますが、ウクライナ戦争においてはまったく無視されていると言わざるを得ません。

特に、対人地雷やクラスター爆弾といった禁止兵器がウクライナ戦争で使用されていると報道されており、核兵器廃絶への見通しを暗澹たるものにしています。

ごく一部の通常兵器すら使用を止められないのに、核兵器を禁止・廃絶できるのでしょうか?

「警察」なくして「法の下の平等」は実現できない

核兵器を「本当に」廃絶することをめざすのであれば、具体的に、どのような行程を踏まなければならないでしょうか?

いくつかの前提条件があります。

核兵器を廃絶するなら、「すべての国が同時に廃棄」しなければなりません。
核兵器保有国、特に5常任理事国や厳しい国際対立を抱えている国が、一方的に核兵器を全廃することは考えられません。
一方的に自らの立場を危うくするような行動は、どの国も取るはずがないためです。

そして、「ウソをつく国」があってはなりません。
仮に「全世界核兵器廃絶条約」が成立し、すべての国が条約を批准したとしても、その中に「ウソをつく国」があって、密かに核兵器を隠し持っていた場合、その国は軍事力バランスにおいて圧倒的有利に立つことになってしまいます。
この可能性があるから、核兵器廃絶には、確かにどの国も間違いなく実行していることを担保する仕組みが必要ですが、現在の国連にそのような担保力は期待できません。

すべての国に対する「法の下の平等」を担保するためには、「司法」と「警察」が必須です。

「国際司法裁判所」は国連のもとに存在していますが、その判決の「担保力」が崩壊していることは上述の通りです。

つまり、足りないのは「警察」。
特定の国の利益に左右されることなく、「平等に違法行為を取り締まる」警察の存在があって、はじめて「法の下の平等」が実現できるのです。

「世界政府」が必須条件

「すべての国に対し、平等に違法行為を取り締まることができる存在」とは、これはもう「政府」しかありません。

つまり、「世界政府」が必須なのです。

独自の財源、すなわち独自の徴税権を持ち、独自の軍隊を有し、全世界に及ぶ民主的な手続きで管理され、すべての国と国民に対する「法の下の平等」を実現する「世界政府」。

これしかありません。

私は、理想論を語っているのではありません。
「核兵器を廃絶する最初の必須条件が世界政府樹立であり、これができなければ核兵器廃絶はできない」と言っているのです。

EUという枠組みにおいてすらイギリスが離脱してしまった現在、世界政府樹立など、まったくの絵空事のように聞こえるかもしれません。

しかし、核兵器廃絶を実現する方法は、これしかありません。

この「ゴール」が共有できれば、明日への一歩が変わり、行動が変わり、行程が変わっていくことでしょう。

いち区議にすぎない私ですが、恐れず、進むべき道を語りたいと思います。

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