本日は、8月15日。
私の誕生日です^^
世間一般的には、77回目の終戦記念日です。
今年も全国戦没者追悼式が行われ、天皇陛下のおことばや岸田首相の式辞にて、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないと語られました。
「戦争の惨禍、二度と繰り返さぬ」 首相式辞全文・戦没者追悼式
終戦から77年が経過し、戦争を知る方々もどんどん少なくなっています。
そのためなのか、新聞記事では戦争体験者の実体験をそのまま掲載する記事が多く見受けられます。
妻と2人で特攻 遺品受け継いだめい「繰り返されてはならない」
「まだ若かった2人。小さな幸せがそこにあったはずでしょうね。戦争は優秀な人たちを皆鉄砲玉のように使ってしまった」
小原真知子さん
サイパンで見た戦争の悲劇。補給なき日本軍は泣く赤子を黙らせ、母親は「自分の子は自分で」とカミソリを当てた〈書き残す戦争の真実〉
赤ちゃんや子どもが食べ物や水がほしいと泣く。すると日本兵が「敵機に子どもの声が聞こえると危ない」と言って、泣いている子から順番に座布団の下に敷いていった。泣き声が消えた。日本兵のすることなので、みんな見ているだけだった。
森本佐知子さん
そのうち一人の母親が、自分の子どもは自分でやるとカミソリを子どもに当てるのを見て、母と私は洞窟を出た。
石井ふく子「時限爆弾を作っていた18歳の私の代わりに級友が機銃掃射され。本当の戦争はまったく違うものだからドラマには描けない。普通に毎日を送れることがどんなに尊いかを私は描き続けてきた」
戦争は、絶対にあってはならないと思います。戦争が始まると、突然「普通」がなくなり、爆弾ひとつで人間の命が奪われる。そして人間が、自分の意思があるのかないのかわからなくなってくる、というのが一番つらいですね。
私はごくあたりまえの日常をドラマにしたい。人間どうしの心が通う家族のドラマを、特殊なものではなく、これが普通なんだってことを皆さんに見てもらいたい。そしてこうした生活をして、皆さんに幸せになってもらいたい。それが私の願いです。
石井ふく子さん
石井ふく子さんが「私は、戦争をドラマには描けない。本当の戦争はまったく違うものだから」と語る理由が、なんとなくわかります。
はからずもウクライナ戦争によって、私たちは「戦争のリアル」というものに、少し想像力が働くようになってしまった。
人の命が、あまりにも軽い。
そして「そうなる理由」が、どこをどうひっくり返しても「上滑り」している。
プーチン大統領がネオナチを持ち出したり、ピョートル大帝を持ち出したりして戦争を正当化するのを、心の底から納得できている人というのは、どこかにいるんでしょうか。
大勢の未来ある若者を犠牲にし、多数の民間人を虐殺したその先に、どのように国の明るい未来を描くつもりなんでしょうか。
上滑っている為政者と起こっている事態の悲惨さの帳尻が、何をどうしても合わない。
はっきりしていることは「戦争は、決して報われない」ということです。
戦争の帳尻が合うことは決してない。
現代において戦争が起こるのは、愚かな為政者による「政治の失敗」故です。
他国に愚かな為政者が出てくるのは、防げません。
それに備える必要はあります。
反面、日本国民には「わが国から、戦争を辞さないような愚かな為政者を出さない」責任があります。
民主主義の劣化を防ぎ、国民一人ひとりの立場に立った政治を実現する責任が私たちにはあります。
私は微力な一区議ではありますが、述べるべき意見は毅然と述べていきたいと思っています。