災害対策集中連載、今回は「水害」についてです。

ここまでは、地震の話を中心にしてきました。

板橋区にとって、水害は「起こるかもしれない災害」ではありません。
7年前に、実際に起きかけました。

2019年10月12日、私は逃げるかどうかを迫られていました

私の自宅は、新高島平駅のすぐ北側です。
新河岸川のすぐそばで、おそらく全区議会議員の中で、あの夜いちばんリスクの高い場所に住んでいた人間です。

夕方には、風雨がかなり強くなっていました。
避難準備の情報が出ます。
お年寄りなど、避難に時間がかかる方は避難してください、という段階です。

私は板橋区議会議員であり、また高島平七丁目町会の役員でもあります。
近隣の皆様がまだ避難できてないときに、我先に避難することなどできません。
そう考えて、自宅にとどまることを選びました。

ハザードマップを見ていました。
新河岸川が氾濫した場合、我が家の2階までは水は来ません。
2階にキッチンも食料も水もある。
新河岸川の氾濫までなら、腹をくくって自宅にいよう。
そう判断していました。

ところが、夜8時ごろです。

荒川上流の二瀬ダムが、22時に緊急放流を行うと発表しました。

これは、次元が違う話です。
荒川が氾濫すれば、高島平・舟渡・新河岸・坂下・東坂下は、水深5メートル規模で水没します。
2階もだめ、3階すら危ないかもしれない。

新河岸川なら逃げなくていい。荒川なら逃げなければいけない。

暴風雨の中、自閉症の長男と5歳の次男を連れて、外に出るのか。
何が飛んでくるか分からない中を、歩くのか。

この究極の選択を、私は自宅で迫られていました。
そして、これは私だけの話ではありません。
荒川のハザードマップの浸水想定区域内には、概算で約6万8千世帯・約12万6千人が暮らしています。

私は2度ほど町会長に電話しました。
避難するかどうか、と。

町会長も、避難を決断することはできませんでした。
既に暴風雨になっている中、子どもや高齢者も多数いる住民を引き連れて避難することなど不可能でした。

結果として、緊急放流は行われませんでした。
予想よりも水位が上がらなかったからです。

板橋区は、それによって助かったのかもしれません。

数字で見る「あと53cm」

あの夜、荒川は実際どこまで来ていたのか。
一次資料で確認します。

岩淵水門(上流側)の最高水位は、翌13日午前9時50分にA.P.+7.17メートルを記録しました。
これは戦後3位です(1位はカスリーン台風の8.60m、2位は狩野川台風の7.48m)。

そして、氾濫危険水位は7.70メートルです。

あと53センチでした。

流域の72時間雨量は、カスリーン台風を超える戦後最大を記録しています。

もう一つ、重要な事実があります。
21時17分、 岩淵水門(青水門)が12年ぶりに全閉されました。

この操作をしなければどうなっていたか。
国土交通省の資料には、隅田川の堤防を27センチ超えて越水・氾濫するおそれがあった、と明記されています。
このとき荒川と隅田川の水位差は、5.55メートルに達していました。

板橋の上流で、東京が守られた夜だった ということです。

さらに、上流の彩湖(荒川第一調節池)が、約3,500万立方メートル——容量のおよそ9割を貯め込んでいました。
現在整備が進む荒川第二・第三調節池が完成していれば、岩淵の水位をさらに30〜40センチ下げられたという試算もあります。
この第二・第三調節池は、一部が令和8年の出水期前に完成する予定です。
今年の台風シーズンから、板橋を守る上流の盾が一枚増えることになります。

荒川は、台風が過ぎてから危なくなる

ここが、いちばんお伝えしたいことです。

台風19号のとき、板橋区内の風雨のピークは12日の21時台でした。
最大瞬間風速38.7メートル、時間最大雨量47ミリ。
総雨量は333.0ミリ。
石神井川・新河岸川・白子川が、21時12分から28分にかけて、ほぼ同時にピークを迎えています。
白子川の落合橋では、水位が橋桁の下94センチまで迫っていました。

しかし、荒川のピークは翌13日の朝9時50分でした。
台風が通り過ぎてから、約12時間後です。

私は当時、議会でこう述べました。

最後は、22時近くに全域に対する避難勧告、これは要は全員逃げなさいという勧告でしたけれども、見ると風雨はおさまってきているタイミングだったんです。
外を見て「もう大丈夫だ」と思ったその頃が、荒川にとっては、まだ本番の前だったのです。

板橋区は現在、この事実を正面から啓発しています。
台風の通過後4時間から8時間してから氾濫が来る。
「晴れ間が見えて安心した頃が、いちばん危ない」——これを区は最大の課題として明記しています。

そしてもう一つ、板橋区の合言葉は「上に逃げる」ではありません。
「高台へ逃げる」(水平避難) です。
垂直避難は、2週間以上取り残されるリスクがあるため、最終手段です。

なにしろ、荒川が想定最大規模の降雨で氾濫すると、区内の約4割が浸水し、2週間以上浸水が続く地域が広く分布するのです。
舟渡・新河岸は、破堤後30分未満で浸水5メートル以上に達します。

「ちょっと微妙な部分がございます」

さて、ここからが議会の話です。

台風19号の3日後、2019年10月15日の決算調査特別委員会・企画総務分科会で、私はこう質問しました。

まず、最初にお伺いしたいのが、水害のタイムラインというのが作成をされました。
タイムラインが想定どおりに機能したかというところが、まず今回の第1のポイントだと思います。

荒川下流タイムラインは、板橋区・北区・足立区がモデルとなって作られた 全国初のタイムライン です。
平成26年から運用されてきましたが、台風19号で、運用開始以来はじめてレベル3(氾濫の3時間前想定)に到達しました。
つまり、全国初のタイムラインが、初めて本番を迎えたのです。

防災危機管理課長の答弁は、こうでした。

実際には、水害のタイムラインについては、今回うまくいったかというと、ちょっと微妙な部分がございます。

行政の答弁としては、かなり率直なものです。
そして課長は、続けて具体的に4つ挙げました。

  1. 国土交通省側にも混乱があり、「いきなりタイムラインが48から30時間に飛んでしまった」。
  2. 二瀬ダムの緊急放流の扱いが、タイムラインに細かく記載されていなかった。
  3. 「計画運休が、まさかJRとかが台風が直撃する10時間ぐらい前にとまってしまうというのは、荒川タイムライン上、ちょっと考えられていなかった」。
  4. 豊島区が朝9時に全域へ避難準備情報を出し、JRのオペレーションが混乱した。

そして、こう締めています。

タイムラインが全てだめなわけではないですけれども、かなり改善が必要になってきているというのは認識したところでございます。

私は、この答弁を批判の材料として引用しているのではありません。

なぜなら、この率直な自己評価の正しさを、2か月後に国の検証が裏付けたからです。

同年12月19日のタイムライン専門部会では、業務が過多でタイムラインを十分に活用できなかった自治体があったこと、計画運休の情報伝達に問題があったことなどが列挙されました。
アドバイザーの松尾一郎氏の講評は、こうでした。

想定以上の事態がTL運用に支障をきたしたのではなく、そもそも災害対応そのものが十分にできなかった

タイムラインが悪かったのではない、という総括です。

行政が現場で「微妙だった」と認め、国が検証し、制度が変わった。
この系譜こそが、防災の正常な進み方だと私は思います。

実際、タイムラインは2020年版で改訂されました。
自主避難の呼びかけが追加され、避難情報の発令時期が見直され、岩淵水門の閉操作をSNSで広報することが盛り込まれました。

区が、自分で作った「失敗リスト」

板橋区自身も、検証を公文書に残しています。

令和2年6月16日の災害対策調査特別委員会に提出された資料は、事実上、区が認めた失敗リストです。

台風19号で露呈した課題(区の公式資料) その後の施策
土木部が持つ水位の知見を避難判断に活かせなかった・参集体制が未確立 「災害発生のおそれ」段階での体制構築→現行の「荒川シフト」2段階開設
防災行政無線が聞き取りにくい・区ホームページが重い・町会に情報が届かない 聞き直し回線の増設→ Yahoo!協定→公式LINE →防災+ポータル/アプリ
避難所開設が「場当たり的な印象」・荒川破堤への方針が未確定 フェーズ対応の開設ルール化・分散(縁故)避難を72時間前から呼びかけ
避難所の従事者不足・運営の差・申し送り不足 従事要員の増強・水害版避難所運営マニュアル・ペットルールの明確化
要支援者名簿が地震想定のみで、水害対応が不明確 名簿の水害対応追加・福祉避難所への事前避難・個別避難計画

こうして生まれたのが、現在の「 荒川シフト 」です。

地震のときは、震度6弱以上で76か所の避難所が一斉に開きます。
しかし水害のときは、まったく別のロジックで動きます。

  • 第1段階(流域3日雨量の予測が500ミリ以上):33か所を開設
  • 第2段階:計70か所+緊急一時退避場所2か所

ご自身の避難先を、2パターンご存じでしょうか。
地震のときの避難先と、水害のときの避難先は、同じとは限りません。

緊急一時退避場所は、舟渡の民間物流倉庫(MFLP・LOGIFRONT東京板橋)と新河岸陸上競技場です。
避難所ではなく、まず緊急に命をつなぐための場所という位置づけです。

そして令和8年3月30日、新河岸陸上競技場から荒川の堤防天端へ直結する連絡通路「ITTA RIVER PARK BRIDGE」が完成しました。
舟渡・新河岸の高台まちづくりモデル地区の、第1期の成果です。

舟渡・新河岸では「水害避難ルールブック」(コミュニティタイムライン)が作られ、地元のバス3社と覚書を結んで、要配慮者をバスで高台へ運ぶ仕組みも整えられました。
これは全国的にも先進的な取り組みです。

浸水深表示板も、区立施設41か所・電柱38か所に設置されています。

床上浸水6棟という数字の読み方

あの夜、板橋区の最終的な被害は、こうでした。

  • 軽傷1名
  • 床上浸水6棟、床下浸水7棟
  • 倒木41本、り災証明32件
  • 避難者はピーク時1,529名、延べ1,981名
  • 職員体制415名、自衛隊情報連絡員2名
  • 板橋区にも、災害救助法が適用

「床上浸水6棟」。
数字だけを見れば、たいしたことがなかったように見えます。

今月、私は熊本県御船町で、統計と現実の距離について考えさせられました。
町としては断水は「復旧済」と記録されているのに、伺ったお宅は断水していた。
統計は嘘をついていません。しかし統計の粒度では、そこに人が住めているかどうかは分からないのです。

台風19号の「6棟」も、同じ読み方が要ります。

区が令和2年に定めた大規模水害の対応方針では、荒川の浸水想定区域に住む約12万8千人について、縁故避難3万人・避難所等8万7千人・緊急垂直避難1万1千人という規模を想定しています。

あの夜の避難者1,981人は、本番の約2%です。

つまり、7年前に私たちが経験したのは、災害ではなく、予行演習でした。
そして予行演習の時点で、行政も、住民も、これだけ混乱したのです。

「避難勧告」は、もう存在しません

最後に、制度の話を一つ。

あの夜、私が「逃げるかどうか」を迫られたときに出ていたのは「避難勧告」でした。

この「避難勧告」は、いまはもう存在しません。

台風19号の教訓を受けて、令和3年に災害対策基本法が改正され、避難勧告は廃止されて「避難指示」に一本化されました。
勧告なのか、指示なのか。どちらで逃げればいいのか分からない——まさにあの夜の混乱が、国の制度そのものを変えたのです。

いま、避難指示が出たら、逃げてください。
そして避難指示を出す権限は、都でも国でもなく、 板橋区長にあります。
58万人に「逃げろ」と言う判断は、区が行うのです。

まとめ

  • 2019年10月12日、荒川は氾濫危険水位まであと53cm(岩淵水門A.P.+7.17m・戦後3位)。岩淵水門を閉めなければ隅田川の堤防を27cm超えていた。
  • 荒川のピークは台風通過の約12時間後の翌朝。「晴れ間が見えて安心した頃がいちばん危ない」。板橋区の合言葉は「高台へ逃げる」(水平避難)。
  • 全国初の荒川下流タイムラインは初の本番を迎え、区の防災危機管理課長は議会で「ちょっと微妙な部分がございます」と率直に認めた。2か月後の国の検証がその正しさを裏付け、タイムラインは2020年版で改訂された。
  • 区は令和2年に自ら失敗リストを公表し、そこから「荒川シフト」2段階開設・水害版マニュアル・バス3社との覚書・ITTA RIVER PARK BRIDGE が生まれた。地震と水害では避難先が違う。2パターン確認を。
  • 板橋区の被害は床上浸水6棟。しかし区の想定では本番の避難対象は約12万8千人であり、あの夜の避難者1,981人は 本番の約2% にすぎない。
  • 「避難勧告」は令和3年に廃止され、避難指示に一本化された。避難指示を出す権限は板橋区長にある。

明日は、連載の最終回です。
板橋区が23区で2番目に「崖」の多い区であることと、連載全体のまとめを書きます。


出典・参考資料

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