本日は8月15日。

先の大戦が終結してから、76年目となりました。

または、私の50回目の誕生日です^^;

(余談ですが、高島平の名の由来である高島秋帆も8月15日生まれと知り、驚きました^^)

アイキャッチ画像は、先ほど自宅前で適当に撮った写真です。
東京で新型コロナの感染が急拡大する中、まだワクチンが打てていない私は、髪を切るのも慎重になっています。
とはいえ、ちょっとひどいですね。今週はどこかで切りにいきましょう^^;

「どうやって終わらせるつもりだったのか」

76年前の戦争が「なぜ始まったのか」「なぜこのような結果になったのか」は、何度語っても語りすぎるということはありません。
不滅の「負の教訓」です。

折しも、新型コロナウイルス感染拡大に対する菅政権の後手後手ぶり、頑迷にして現場軽視の姿勢は、多くの人に「76年前」を想起させています。

こちらは、2017年の8.15に寄稿された記事です。

昭和天皇は、本当はどの時点で「終戦」を意識していたのか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52568

ポツダム宣言が発せられた時点で受諾していれば、広島・長崎への原爆投下、中国残留孤児、シベリア抑留という悲劇は起こらなかった。

あるいは、サイパン・マリアナという絶対国防圏が瓦解した時点で講和に向けて動けば、本土空襲や沖縄戦はなかった。

「後講釈」ということもできましょうが、為政者の立場であれば当然見えていなければならない将来展開であり、「なぜ決断できなかったのか」ということは何度でも歴史の教訓とすべきです。

なぜ決断できなかったのか?

国民の命や国の将来よりも、為政者の「メンツ」と「その後の立場」を優先したからではないですか?

そして、より厳しい本記事の指摘は
「為政者たちはどうやって戦争を終わらせるつもりだったのか」
というもの。

逆にいえば
「いかなる勝算があって戦争を始めたのか」
ということです。

中国戦線が泥沼化する中、超大国アメリカに宣戦布告するなどというのは、当時の誰の目から見ても無謀でした。

本記事によると、開戦1カ月半前の1941年11月15日、大本営政府連絡会議で戦争終結構想が示されています。

主な内容は、

⑴南方作戦で戦略的自給圏を確保する

⑵中国の蒋介石政権への圧力を強める

⑶独伊と連携しイギリスを屈服させる

⑷それによってアメリカの戦意を失わせ、講和にもちこむ

というものだった。

注目すべきは⑶と⑷だ。ドイツとイタリアがイギリスを屈服させる保障はなかった。かりにそれが実現したとしても、アメリカが戦意を失う保障もなかった。つまり大日本帝国は、仮定の上に空想を載せた蜃気楼のような終戦構想で、戦争を始めたのである。

いかがでしょうか。

私としても、安易に先の大戦と現在のコロナ禍を対比させるのは危ういと思っていますが、何度見直しても、先の大戦とコロナ禍はくっきりと相似形になっているようにしか見えません。

変異株の脅威が見えている中、オリンピックを開催するのが「無謀な賭け」であることは、専門家ならずとも多くの人に認識されていました。

それに対し政府は、

  • 高齢者へのワクチン接種を完了する
  • バブル方式で五輪関係者と一般住民を分離する
  • 緊急事態宣言を早めに発出する

といった対策で感染拡大を抑え込むとしていましたが、高齢者のワクチン接種は進んだもののより若い世代で感染が急拡大し、バブル方式などはまったく機能しておらず、緊急事態宣言はそもそもが「緊急事態宣言中の五輪開催」に説得力がなく、現在東京をはじめとして全国で過去最高の感染者数となっており、医療逼迫が非常に厳しい状況となっています。

そしてこの厳しい状況で菅義偉首相が打ち出したのが「重症患者以外は自宅療養」。

酸素吸入が必要な中等症患者も自宅療養という、命を守ることを考えたら非現実的な方針を唐突に打ち出してきました。
自らの失策を「人命軽視の方策」によってカバーしようとしていると批判されても仕方がありません。

現在は軌道修正されたものの、自宅療養中に容体が急変して亡くなるケースが相次いでいると言われており、事態を打開する政策が実行に移されているとは言えません。

現在、濃厚接触者にPCR検査が十分行われていない可能性が高く、発表されている感染者数は「氷山の一角」と捉える必要もあります。

菅義偉首相は、いったいどうやって感染を収束させるつもりなのでしょうか?

率直に言って、菅首相が「終戦までの道のり」を算段してコロナ対策を行っているようには見えません。

まず必要なことは、「自分の誤りを率直に認めること」。
PCR検査抑制は間違いであったこと。
また五輪と感染抑止の両立は不可能であったこと。

間違いを間違いと認めることなくして、方針転換はできません。
これも、先の大戦の教訓です。

積極的疫学調査を十分に行えるだけのPCR検査キャパシティを確保すること。
検査→隔離の基本動作を徹底すること。
移動や経済活動の自粛を改めてお願いし、それに伴う十分な補償を行うこと。
さらなる変異株の流入を阻止すべく、水際対策を厳格に行うこと。
そして、ワクチン接種を希望するすべての国民に行き渡るだけのワクチン総量を国がきちんと確保すること。

こういった総合的な対策によって、はじめてコロナ感染拡大が止められるのではないでしょうか。

* * *

政治がもっと機能していれば、死なずに済んだ人が大勢いた。

76年目にして、またもこんな言葉を言わざるを得なくなることが悔しくてなりません。

今度こそ、日本の政治を変えましょう。

その機会は、もうすぐやってきます。

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