文化はカネ「だけ」では育たない

先週の6日、東京でも積雪を伴う雪が降りました。

ちょうどこの日は、家族で調布市の「鬼太郎広場」や三鷹市の「星と森と絵本の家」に遊びに行っていたときでした。

調布市の「鬼太郎広場」

 

三鷹市の「星と森と絵本の家」

 

すばらしい施設を設けている調布市・三鷹市のセンスに脱帽。

雪景色と相まって、印象深い家族の時間となりました。

「大島紬」がピンチ!? 原材料「車輪梅」が入手困難

昨年末、着物派の私としては衝撃的なニュースを目にしました。
「世界三大織物」のひとつとも呼ばれる、奄美大島の特産物「大島紬」の原材料である「車輪梅(テーチ木)」が入手困難となり、大島紬の生産が難しくなっている、とのニュースです。

シャリンバイ確保困難 大島紬製造現場に暗雲 採取者の減少が影響(南海日日新聞)

関係者によると、宇検村にあった島内唯一のチップ工場が昨年閉鎖したことも染料不足に影響している。以前はチップ用に皆伐した中からより分けたシャリンバイを購入できたためだ。現在はほとんどの染色業者がそれぞれ関係のある個人に依頼し、不足分を山から切り出してもらっているという。

 月に2400~3000キロのシャリンバイを使用する龍郷町戸口の金井工芸では昨年、急きょ従業員総出でシャリンバイの採取を行った。同社代表で伝統工芸士の金井一人さん(63)は「伐採から時間がたつと色が出ず、夏場なら2~3週間内。その都度自分たちで切っていては労力とコストが見合わない」と話した。

 同じく伝統工芸士で、同町戸口で「肥後染色 夢しぼり」を営む肥後英機さん(69)によると、山中でシャリンバイだけを選んで伐採し、運び出す場合、600㌔分を集めるのに2~4日かかる。採取する業者も高齢化が進み、「今は知り合いに頼み込んでなんとか確保している状態」という。

 これまでに県や自治体の事業として、シャリンバイの植林が行われたこともある。肥後さんは「木は1度伐採した後10~15年ほどで再び使えるようになる。今後は植林、育成とともに、実際に木を利用するための方法もしっかり整備するべきだ」と指摘した。

 大島紬は1300年の歴史を持つといわれ、泥染めは奄美の歴史、文化を語る際に欠かせない染色技法だ。職人らは「業界に限った話ではなく、今後奄美で泥染めを継承していけるかどうかが問われている」と訴えている。

上記の写真で私が着ているのも大島紬。
これは私の叔父の形見で、すばらしい出来栄えの一品。
(譲り受けたものなので価格がわからないのですが、同じようなものを新品で注文したらかなりの額になるのでは…)

昨年末にお呼ばれした板橋手話サークルのクリスマス会では、世話人の一人で同じく着物派のうめまゆみさんと「大島紬コラボ」^^

 

ここ10年ほどの日本の状況について、私は非常に「貧困」であるという印象を持ちます。

経済的に格差が広がっているということももちろんありますが、「文化の貧困」「言葉の貧困」「学問の貧困」なども非常に感じるところです。

大島紬について言えば、車輪梅が入手困難になった理由のひとつに、奄美大島に唯一あったチップ工場が閉鎖されたことがあります。
なぜそうなるかと言えば、木材自由化により国内の林業が成り立たなくなっているためです。

戦後、日本の政治は一貫して一次産業を軽視してきました。
その結果、食料自給率は主要国最低レベルとなり、管理なき漁業により多くの魚種が絶滅の危機に晒され、「ウッドショック」により木材価格が高騰し、大島紬はピンチに陥っています。

わが国は「成長」というものを、何か勘違いしているのではないか。
そんな思いが強くいたします。

日本の文化は、長い年月をかけ、時代の変遷にも合わせつつ、日本の風土に適したものとして受け継がれてきたものです。
それは、ただ「カネ」を出せば買えるというものではない。
私たちのよって立つ大地と人々の暮らしを理解し、その良さを知り、次世代に受け継ごうという意志が必要です。

私も微力ながら、伝統文化の維持と継承に尽力したいと思います。

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