昨日はTwitterスペース「金曜はご意見伺い」第22回を実施しました。

板橋区政と地方政治を語る「金曜はご意見伺い」第22回

年末スペシャルということで、話も「民主主義の本質」のようなところに至り、ご参加いただいた皆様からも活発にご意見をいただきました。
改めて感謝申し上げます。

昨日の話を振り返りながら、2023年の政治と民主主義の方向性について課題提起してみたいと思います。

政治家の言葉とは「実体化する言葉」

最近、私はTikTokに注力しています。
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中妻じょうた 板橋区議会議員(TikTok)

これからは動画に注力すべきだと思っていた私ですが、TikTokの拡散力を知り、「これはメインツールのひとつになり得る」と考えた次第です。
ぜひ動画をご覧いただき、ご意見・ご感想もお寄せいただければと思います。

ただ、TikTok用動画を作っていると、どうしても「バズらせるためにどうすればいいか」という思考になりがちです。

TikTokは「最初の2秒が命」と言われていますが、そのため冒頭に「煽りセリフ」を持っていきがちになります。
「悲報」
「ヤバすぎ」
「オワコン」
などなど…。

まあその程度の煽りなら可愛いものですが、「中身」まで煽り一辺倒になると、政治家の情報発信としては危ういものになっていきます。

政治家の言葉とは単なる煽りセリフではなく、その言葉によって実際に社会を変える責任を有する「実体化する言葉」だからです。

「選挙」と「政治」の分断

およそ民主主義というものが誕生して以来、「ポピュリズム」「デマゴギー」の問題はずっと民主主義につきまとっていました。
今風に言い直せば、「バズり」「フェイク」ですね。

民主主義は「より多数の人が支持する意見であれば、より正しいはずだ」という仮説の上に成り立っています。

しかしこの仮説で抜けているのは、その多数の人々は「どれくらいの情報に基づき、どれくらいの時間軸の中でその正しさを判断しているのか」という視点です。

近現代の民主主義で言えば、政治を変えるための決定的要因は「選挙」です。
ただし選挙は「選挙期間中」に訴えたことが決定要因になります。
その選挙の結果、当選した政治家には「何年にもわたる権限」が与えられます。
このギャップが問題を引き起こすのです。

最近ですと、今年行われた参院選で、ネットで芸能人情報を暴露するのが得意な方が当選しましたが、その方は未だ国会に一度も出席せず、日本に帰国してすらいない、という事例があります。
よほどのことがなければ国会議員から強制的に議席を取り上げるのは難しく、基本、この方は「6年間」参議院の議席を有し、議員報酬などを得ることができます。
さらにこの方が、現在の困難な政治状況において何事かを成し得る資質を示したかというと、少なくとも私はそのようなものを見せてもらってはいません。

こうした「煽り型政治家」の最悪の例が、トランプ米前大統領でしょう。
極端な言葉によって分断を煽り、米大統領選に当選したものの、米国の問題を何も解決できないばかりか悪化させ、とうとう連邦議会議事堂襲撃事件という米国史に残る汚点の原因となりました。

この「時間軸のギャップ」が、「選挙」と「政治」の分断を産みます。
そもそも選挙と政治がつながっていないため、何回選挙を繰り返しても社会が良くならない、という事象が起こるわけです。

「場」によって言葉は変化する

もうひとつ、「実体化する言葉」を駆使する政治家として注意すべきは
「『場』によって言葉は変化する」
ということです。

政治家なら、誰しも経験があるはずです。
A駅の街頭演説ではA地域に関することを話し、B駅の街頭演説ではB地域に関することを話す。
市民団体の前で話す言葉と労働団体の前で話す言葉、大会場の講演で話す言葉と飲み会の雑談で話す言葉は異なる。

これは言葉の性質上、当たり前のことです。
言葉は「伝える相手」がいてこその言葉ですので、場が異なれば言葉が変わるのは当然です。

政治家は「実体化する言葉」についてきちんと責任を取ればよく、言葉が変化することそのものを問題視する必要はないと思います。

ただし、瞬間最大風速的「バズり」が言葉の中心に来てしまうと、言葉に責任を持つことが難しくなってきます。
さらに、バズりに対してバズりで対抗し、さらにバズりで…ということを繰り返していると、言葉がどんどん「実体」から離れていくように私には思えます。

「バズり民主主義」を超えて 〜Twitter、そろそろいいんじゃね?〜

こう考えていくと、140字を投げ合う「Twitter」という「場」は、そろそろ限界に来ているのではないか?…と、最近とみに私には感じられるのです。

特に政治家は「実体化する言葉」に責任を持たなければならない立場ですので、140字を引用リツイートしまくる「ついったバトル」は、どうもそろそろ不毛さが限界を超えてきているように思います。

イーロン・マスクがTwitterを買収し、朝令暮改の方針で会社をガタガタにしているのが、ひとつの「機」ではないでしょうか。
今後、Twitterに新しい参加者が増えていったり、新しいことがTwitterで起きたりすることは少なくなっていくのではないかと私には思えます。

今朝、ちょっとほっこりするようなツイートを目にしました。
中の人が高校生である「第77代英国首相ボリス・ジョンソン(偽物)」さんが、Twitterアカウントを消去し引退することを表明しました。

・Twitterにかまけて勉強が疎かになることが多々あり、(中略)かけがえのない3年間をスマホやSNSに蝕まれたくないという思いもありました。

・これまでアカウントを運営する中で「高1でこれはすごい! ぜひイギリスに関する職についてほしい」という旨の期待のコメントをたくさんいただいてきました。(中略)しかし、Twitterに夢中になってテストの点を落としているようでは到底無理だと思いました。だから、僕はまだぼんやりとはしていますが「何かイギリスに関わるような仕事」につくため、今は自分の人生に集中しようと考えました。その第一歩として大学受験を見据え、Twitterをやめることにしました。

第77代英国首相ボリス・ジョンソン(偽物)

なんとも爽やかではありませんか^^

Twitterによって人生が変わったことは間違いない。
しかし「Twitterから卒業しなければならない時がやってきた」ということでしょう。

政治家は、社会を変えるため、「新しいコミュニケーション」を求め続けなければなりません。
そのために、「『今』伝わる言葉」「『今』話すべき相手」に敏感でなければならないと私は思います。

そう考えたとき、
「Twitter、そろそろいいんじゃね?」
という気がしてならないのですよね。

いかがでしょうか?

とはいえ、私も「Twitterアカウント閉鎖」とまではやりません。
ただ、そこは他の情報の「エイリアスの場」となっていくでしょう。
また「Twitterスペース」は140字のTwitterとはまったく異なり、腰を据えての直接の話し合いができる場として貴重だと思います。

私としては、Twitterの位置付けをちょっと格下げし、「TikTok」「公式ブログ」「LINE公式アカウント」「メルマガ」「Twitterスペース」の組み合わせによって、ネット上の新しいコミュニケーションの場づくりをおこなっていきたいと考えています。

そして何より「街に出ること」。
地元の有権者と直接顔を合わせてお話を伺うのが、政治の原点です。

『難しい決断を迫られた時、誰の顔を思い出すか。
それによって、政治家の真価が決まる』

こんな言葉もあります。

大事にしなければならないのは誰なのか。
それを忘れないことが、すなわち「責任」であろうと私は思います。


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