2026年8月4日、熊本県上益城郡御船町で、災害ボランティアとして活動してきました。
7月28日に発生した令和8年熊本地震を受けての、緊急の行動です。

私は大災害が起きたとき、「 できるだけ早期に、今できることをやる 」ことを行動習慣にしています。
今回もその一環です。

先に、前提を述べておきます。

  • 費用はすべて私費です。政務活動費は充てていません。
  • 御船町災害ボランティアセンター(御船町社会福祉協議会が運営)を通した、一般ボランティアとしての参加です。個別のお宅を自己判断で訪問することはしていません。
  • 議員の肩書では動いていません。災害ボランティアセンターは政治的活動を明確に禁じています。

なぜ、御船町だったのか

令和8年熊本地震は、2026年7月28日16時27分、熊本県熊本地方を震源として発生しました。
震源の深さは16km、地震の規模はマグニチュード7.1(暫定値)。
宇城市と氷川町で震度7を観測しています。

2016年の平成28年熊本地震の経験から、今回は早い段階で災害ボランティアセンターを立ち上げた自治体がいくつかありました。
そのうち、県外からのボランティアを受け付けていた御船町に入ることにしました。

これは、当たり前のことではありません。
内閣府の資料には、こう注記されています。

※募集範囲を同一県内在住者等に限っている場合がある。

むしろ、災害ボランティアの募集をすぐに県外まで広げる自治体のほうが少数とも言えます。
この点については、後ほど「持ち帰るべきこと」として改めて書きます。

なお、御船町の震度は6弱でした。

前日——「被害が、見えない」

前日の8月3日、宿泊地の大津町から、近隣の下見を兼ねて御船町災害ボランティアセンターまで行ってみました。

一見して、被害が見えないのです。
倒壊した家屋も、損壊した道路も、目に入りません。

この日の熊本市は、観測史上1位となる40.3度の最高気温を記録していました。
暑さのほうが、はるかに強く体に来ます。

「被害が見えない」という第一印象は、翌日、まったく違う意味を持って返ってくることになります。

前日下見
前日、下見を兼ねて御船町災害ボランティアセンターを訪れました

8月4日、活動の一日

御船町災害ボランティアセンターは、御船高校セミナーハウスに設置されています。
ボランティアの活動時間は9時から16時まで。
午前と午後で、それぞれ1件のお宅を支援しました。

午前——仏壇と神棚を、直す

午前中に伺ったお宅は、家具が倒れているだけでなく、床・壁・天井が壊れて、仏間に入れない状態になっていました。

壊れた部分を撤去し、仏壇と神棚をきれいに直して、掃除をしました。
落ちた瓦を片付け、災害ゴミをまとめて仮置き場へ運びました。

仏壇と神棚を直す、というのは、一見すると急ぎの仕事ではないように思えるかもしれません。
そうではありません。
こうしたものが倒れたままになっているのは、精神衛生上、非常によくないのです。
家の中に、地震が起きたときのままの光景が残り続けることの重さは、片付けが終わったときのお顔と、声の明るさで計り知れます。

午前作業出発準備
午前の作業に向けて、必要な資材を積んで出発。軽トラはボランティアの持ち込みです。災害ボランティアでは軽トラの威力が絶大です

災害ゴミ仮置き場——運用に見えた「経験」

災害ゴミの仮置き場は、元々は御船町町民グラウンドだった場所です。

ここの運用に、感心しました。
ゴミの種別ごとに置き場が決まっていて、ゴミを積んだ車が少しずつ移動しながら、種別ごとに順番に下ろしていける ロータリー式 になっているのです。

車を停めて、あちこち歩き回って下ろす方式だと、渋滞します。
運び込む車が滞れば、家の片付けも滞ります。

こういうところに、10年前の経験が生きていることを感じました。

災害ゴミ仮置き場
災害ゴミ仮置き場。元々は御船町町民グラウンドです

午後——屋根の瓦には、手が出せない

午後に伺ったお宅は、壊れた瓦が屋根の上に多く乗ったままになっているのが、一番のリスクでした。

しかし、これには手が出せません。
屋根の上の作業は、専門的な技術と装備がないと、こちらが二次災害を起こします。

下から落とせる瓦は落とした上で、災害ゴミをできるだけ運び出しました。

一般ボランティアにできることと、できないことの線引きは、はっきりしています。
そして 「一番危ないところ」が、たいてい一般ボランティアには手が出せない領域にある
これは、重機やチェーンソーを扱う技術系ボランティア団体が、なぜ必要とされているのかという話に直結します。

昼休憩中
災害ボランティアセンターでの昼休憩中。この日の熊本も猛暑でした

現場で聞いた話——「見えない被害」の正体

前日に感じた「被害が見えない」という印象。
その答えを、現地の方々から聞くことになりました。

御船町社会福祉協議会のスタッフの方は、こう話してくださいました。

10年前の熊本地震では1600軒のボランティア受付を行なったが、今回はその10分の1。
耐震化が進んだためと見られる。
ただ、その代わりに「見えない被害」が増えている印象がある。

耐震化は、確かに効いている。
それでも被害はゼロにはならず、 形を変えて残っている 、ということです。

午前中に伺ったお宅のご主人は、こうおっしゃいました。

途中の水道管が損傷して、うちだけ断水している。

これは、記録の上ではどうなっているか。
内閣府の資料(8月4日7時30分現在)によれば、御船町の断水は最大約2,600戸、断水期間は7月28日から8月1日、状況は 「復旧済」 と記載されています。

町としては、復旧済みなのです。
それでも、そのお宅は断水していました。

「見えない被害」とは、こういうことです。
統計は嘘をついていません。しかし統計の粒度では、そこに人が住めているかどうかは分からないのです。

なお、県全体で見れば、断水はまだ深刻です。
同じ資料で、8月4日4時30分時点で4県約44,000戸が断水中。
八代市が約25,269戸、宇城市が約15,575戸と、被害の中心部では復旧の見通しが立っていません。

作業中には、余震もありました。
体感で震度3くらいだったと思います。
7月28日以降、震度3以上を観測した地震は67回発生しています(8月4日5時時点)。

私が抜いた、一本のコンセント

午前中に伺ったお宅で、危険なタコ足配線を見つけました。
ご主人に断って、電源を抜かせていただきました。

理由は一つです。
まだ余震が続いており、停電になる可能性がある。そして停電から復旧したときの「通電火災」が怖いからです。

この話は、連載の中で改めて詳しく書きます。

板橋区へ持ち帰る、3つのこと

① バッテリーは、被災者にとっても支援者にとっても生命線

これは、私自身の失敗から書きます。

帰りの飛行機で、搭乗手続きを済ませて搭乗口付近で待っていたところ、手荷物の中の空調服に、ファン用のバッテリーを入れっぱなしにしていたことが発覚し、手荷物預かりまで呼び戻されました。

飛行機の預け荷物には、モバイルバッテリーは一切入れられません。
そして、手持ちで持ち込めるモバイルバッテリーも2つまで。
空調服のバッテリーも、モバイルバッテリーとみなされます。
猛暑の被災地に空調服を持ち込むこと自体は正解でしたが、そこまで頭が回っていませんでした。

被災地では、電気は真っ先に止まり、最後に戻ってきます。
安否確認、給水所の場所、災害ボランティアセンターの受付状況——災害時に必要な情報は、いま、ほぼすべてスマートフォンの中にあります。
さらには、今や酷暑下作業の必需品と言える空調服にもモバイルバッテリーが必要です。
(今回私と一緒に作業したボランティアのほとんどが、空調服を着用していました)

被災者にとっても、支援者にとっても、バッテリーは生命線です。
どうやって十分なバッテリーを確保するか。
避難所の電源計画、家庭の備え、そして支援に入る側の装備計画。
これは板橋区でも、正面から検討すべきテーマだと考えています。

② ボランティアを、県内・県外で仕切る必要はない

先に書いたとおり、災害ボランティアの募集を県内在住者に限る運用は珍しくありません。
気持ちは分かります。受け入れ能力を超えた人数が押し寄せれば、被災地の負担になるからです。

しかし、 必要なのは「定員で仕切ること」であって、「居住地で仕切ること」ではありません。

今回、私と一緒に動いたチームには、東京から仕事で熊本に出張してきて、会社に許可を取って参加したという方がいました。
居住地で仕切っていたら、この方は現場に立てませんでした。

2024年の能登半島地震では、石川県の事前登録に約3万600人が登録したのに対し、実際に活動できた方は約7,000人にとどまったという分析があります。
「登録したのに呼ばれない」というミスマッチが、次の災害でボランティアが集まらない原因になります。

熊本県は、地震の6週間前にあたる2026年6月4日、事前登録制度「くまもとボラナビ」を開始していました。
能登の教訓が、いままさに実戦で試されているところです。

板橋区には「いたばし災害ボランティアセンター」の設置・運営マニュアルがあり、公開もされています。
そこまではできています。
問われるのは、その先です。
受け入れ定員をどう設計するか。事前登録をどう作り、どう「呼ぶ」か。
改めて確認する必要がある、と思わされました。

③ ロジスティクスが、最も難しい

震源に近い八代市付近では、国道の損壊や高速道路の通行止めで渋滞が頻発し、支援物資が届きにくくなっているとのことでした。

私自身、東日本大震災のときに、これで非常に苦労しました。
2011年、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」で中古家電配布の責任者として、高島平をはじめとした都内各地で集めた中古家電を、石巻市渡波や南三陸町へと運ぶプロジェクトを2回実施しました。
この時も、事前準備から完全終了まで、大失敗手前の冷や汗ものの経験を何度もしました。
今、同じことはとてもできません。

物を集めることよりも、「必要な人のところへ、必要なタイミングで届ける」ことのほうが、はるかに難しいのです。

ロジスティクスを回すには、技術・経験・情報・組織力のすべてが要ります。
考えずにやると、善意がそのまま迷惑に変わります。

首都直下地震が起きたとき、東京は「支援する側」ではなく「支援される側」に回ります。
そして環状七号線・環状八号線の内側は、深刻な交通麻痺に陥ると想定されています。
板橋区に、全国からの支援が物理的に入ってこられるのか。
区としての受援計画——物資やボランティアをどう受け入れるかの手順——が、実効性のあるものかどうか、もう一度確認する必要があります。

災害ボランティアに行ってみたい、という方へ

最後に、実務的な話を書いておきます。

災害ボランティアは、自己完結が原則です。
交通費・宿泊費・食費は、すべて自己負担。
被災地に負担をかけない、というのが大前提です。

ボランティア活動保険には、出発前に、お住まいの地域の社会福祉協議会で加入してください。
現地で加入もできますが、事前に行うほうがよいでしょう。
一回加入すれば1年間有効ですので、今決まった予定が立たなくても、とりあえず入っておくのが正解です。
板橋区なら、いたばし総合ボランティアセンターで加入できます。土日も営業しています。

必ず、現地の災害ボランティアセンターを通してください。
自己判断で個別のお宅を訪問することは、絶対に避けてください。

装備については、少し詳細に書きます。

原則は「 出発前に、自分の地元で買う 」です。
被災地の店舗の在庫は、そこで暮らしている方々のものだからです。

ただし、これは原則であって、教条ではありません。
災害の状況と範囲によって、判断は変わります。

2018年の西日本豪雨で愛媛県西予市に入ったときは、万一を考えて東京で2トントラックを借り、装備品をすべて購入して現地まで10時間かけて向かいました。
しかし実際には、松山空港は正常に稼働しており、周辺でレンタカーも普通に借りられました。

今回も、宿泊した大津町のホームセンターは問題なく営業しており、そこで追加の装備や食料・飲料を購入することができました。
そもそも、飛行機にはペットボトル飲料を持ち込めません。
猛暑の中で1日3リットル飲むことを考えれば、現地調達を織り込まないほうが無理があります。

被災の範囲外であれば、現地に近い場所で調達したほうが動きやすい場合があります。
原則は原則として押さえた上で、十分に情報を収集して、臨機応変に判断してください。

作業終了後
作業終了後、災害ボランティアセンターにて

まとめ

  • 令和8年熊本地震で被災した熊本県御船町(震度6弱)で、2026年8月4日、災害ボランティアとして午前・午後1件ずつのお宅を支援した。私費・災害ボランティアセンター経由・議員の肩書は使わない、という前提で入った。
  • 現地の第一印象は「被害が見えない」だった。社会福祉協議会によれば、ボランティア受付は10年前の10分の1で、耐震化が進んだためと見られる。ただし代わりに「見えない被害」が増えている。町としては断水復旧済みなのに、そのお宅だけ断水している——統計の粒度では、そこに人が住めているかどうかは分からない。
  • 支援先で危険なタコ足配線の電源を抜かせていただいた。余震が続く中、復電時の通電火災が怖いからである。
  • 板橋区へ持ち帰るべきは3つ。①バッテリーは被災者にとっても支援者にとっても生命線である ②ボランティアは居住地ではなく定員で仕切るべきで、事前登録は「呼ぶ」設計とセットでなければ機能しない ③受援計画を実効性のあるものにしておく必要がある。

被災された皆様の生活が、一日も早く元に戻りますよう、引き続きできることをやってまいります。


出典・参考資料

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